続:「英語多読」2ヶ月目

2023-2-15

以前ホームページの投稿に少し書いたように、私は今「英語多読」をほぼ毎日、一日あたり1、2時間実行している。これを3ヶ月くらい続けようと思っている。というのは辞書も引かず、分からないものはそのままにして「英語多読」を続けていれば、そのくらいで目標のレベルになると書いてあったからだ。まだ2ヶ月目程度だ。

現在のホームワークの中心はオックスフォード大学が行なっている子供向けの無料書籍の購読である。Oxford OWLというサイトでペアレント資格で登録している。

やっと5~6歳向けのレベルまで到達した。しかし侮るなかれ、単語や文法構造は半端なものではない。最初は3歳くらいから始めたがそれでも知らない単語が時々出てくる。これを日本の学校で習った英文法の知識で解析しながら理解しようとするのは大きな間違いである。子供たちは辞書も英文法の知識も一切使わないで読んでいる。恐らく文法を習うのは日本と同じ中学校くらいだろう。ホームページのタイトルに、「Like native children do.」としたのはそういう意味だ。

文章が大まかな意味しか分からない状態は、モヤモヤして気持ちが悪い。つい英和をひいて意味を知りたくなる。モヤモヤ状態は恐らく脳細胞が他の脳細胞と連結しネットワークを作りたくてウズウズしている状態だろう。ここに日本語が入ってくるとどうなるか。

我々が子供時代、大人同士の話を聞いたりテレビを見た時分からない言葉が時々飛び交っていた筈だが、自然に理解できるようになった。英語でも同じで、ここで日本語で訳しながら読んで行くと、脳の中ではかなりいびつなものになって行く気がする。完璧に通訳や翻訳者になるのならそれで良いが大変な苦労が必要になる。思うに今の学校教育はまずそれを目指している。将来、会社や役所において完璧な文書を作成できる事を目指しているのだろう。殆どの者にとってはもっと気楽に英語をとらえても良いと思う。正しい英語表現というのもあまり意識しすぎではないか。数学ではなく日常使う言葉なのだから、様々な表現があって良い筈だ。

ここに今読んでいる英文を引用の形で表示すれば分かりやすいが、著作権の問題が起こると良くないのでやめておこう。その6歳向け文章は、とにかく私が習った英文法の知識からすると、本当に自由奔放、文法からも逸脱しているとも感じられる文章だ。ただ分からない部分もそれなりに理解して進んで行くと何とか全体が分かってくる。とくに前置詞の使い方の奔放な事。また分からない単語もそれぞれが関連して派生して来たんだなと想像する事で意味を類推することもできる様になる。また単語は必ずしも日本語には対応しないのは当然だ。例えばrememberという言葉、これは意味が幾つもあるので覚えるのに苦労した記憶があるが、英語では意味が分化していないのだ。日本語に訳すと「覚える」とも「思い出す」とも色んな訳が並ぶ。つまり英単語丸ごとそういう感じでとらえれば良い。

また子供の本で良く出てくるのが、擬音語や擬態語。語感が日本語とまるで違うが、なるほどそういう感じ、そういう音がするかもと感じられる。むしろ英語の方が実音に近いかも知れない。これもそれぞれがまた派生して新しい表現が出てくる。英語でも日本語で若い人が自由に言葉を作り出すのと同じ状態が当然ある筈だ。

今2ヶ月目程度だが、3ヶ月続けたら果たして完璧に英語を使いこなせるようになるか。恐らくなかなかそうならないと思う。ただ難しい文章や音声を分からなくても食らいついて行く姿勢ができるのではないか。そして重要なのはこれを続けて行く事である。(子供たちは分からない言葉があってもこの言語環境の中で生きて行くしかないと覚悟して生きている。)実は私は最初からYouTubeの英語番組もほんの少しはついて行けるし、何となく意味をとらえる事ができたが、更に上達したかどうか? リスニングはこの理屈で行くと、意味を理解するより、何を言っているか言葉に食らいつく事だ。シャドーイングといわれているがまず言葉を意識する事。意味は何となく分かってくる気がする。

子供の本でもフィクション・文学的なものはなかなか理解しにくい。まず会話が出てくる。登場人物の把握、誰の発言かを意識する必要がある。日本でも歴史物がそうである。非常に分かりにくい。また日本語と違い、漢字仮名交じりでないので皆同じに見え、目がチラチラする。恐らくネイティブの人でもそうだろう。また文学なので修飾表現が出てくる。これも分かりにくい。逆にノンフィクションものはかなり読みやすい。基礎知識があることで内容も理解しやすい。特にソフトウェアの使い方を説明する文章やYouTube番組は音声も聞き取りやすい。

「THE METAVERSE」「ザ・メタバース」

ノンフィクションものといえば、とうとう最近「メタバース」という本の英語原書を買った。子供の本が読めれば、大人向けの本もそれほど違いは無いように感じたからである。確かにそうで、違いは単語と内容そのものの難しさだろう。英文としての構造はそんなに違わない気がする。

専門書というより一般向けの本だが、さすがに読み進むには大変と思い、翻訳本を購入した。こちらを読んでから英文をという読み方も許されるのかも知れない。難しいといえば、英字新聞の政治記事だ。知らない単語が沢山出てくる。これを見て英語を諦める人も多いのでは。まずぜひノンフィクションを。

とにかく新しいやりがいを見つけた。しかし読むにも続けるにも少なくとも日本語の助けを求めない意思力は必要なようである。

(AYSA西部部会会員 KNK)

続:「英語多読」2ヶ月目」への1件のフィードバック

  1. KNK 返信

    最近の感じとして、英文を辞書を頼らずに読んでいると、この単語は前にも見たなという場面が、どんどん増えてくる。
    そのうち殆どの単語に対してそんな感じを抱くようになる筈だ。

    初めて見る単語は少なくなって行く。どうしても知りたければ英英辞典を引けば良い。
    そのうち前にも見たこの単語は大体こんな意味だろうと推測がつくようになる。英文に飛び込んで行く事にあまり躊躇がなくなる。余裕が出てくる。

    発音もそうで、ネイティブでも固有名詞などはどう読むか分からない。そこで今迄の英単語の発音の経験則が役立つ。

    恐らくこれが言語に習熟して行くプロセスなのだろうという風に感じる。子供の頃もそんな感じだった気がするのだ。

    ただこれで果たして、スピーキングや英作文のいわゆるアウトプットの能力向上に繋がるのか、今のところ少し不安がある。かのガイド書には大丈夫とは書いてあるが。

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