2026-3-14(AYSA西部部会会員 KNK)
日本でも苦痛緩和技術の普及を!!

別の投稿でも書いたが、生前は色々あっても、せめて死ぬ時くらいは安らかにあの世に行きたい。ただその様な幸運は日本ではくじに当たる様なものの様である。以下の資料にもあるが、極めて大雑把にいうと苦しまずに逝けるのは5部5部か。亡くなった人に「臨終は苦しかったでしょう?」と聞くわけにはいかない。ただ死後の表情である程度推察できるそうだ。
せめて緩和の技術があるのだから使って欲しいが、日本では大病院に至るまでそうではない様だ。欧米に10〜20年遅れているとの事。
特に緩和技術を使える医師の数を増やさなければならない。理想は在宅医療だ。自宅で亡くなりたい。入院するだけでせん妄状態になる人もいるらしい。欧米の例を見ると、ガンだけでなく徹底して緩和医療を使えば誰でも9割は苦しまずに逝ける様だ。
そろそろ老人の大量死時代に入ろうとしているのだ。一人の高齢者の願いだが、「ぜひ自分の問題として検討をお願いしたい!」。
この拙いブログが目について欲しいと願う。
(以下はChatGPTからの引用です。)
あなたは緩和医療の専門家だとします。
歳をとると臨終で苦しまずに死ねるか気になる所です。
日本では看取りにおいて医療用麻薬が余り使われていないと思います。
先進国ではどの様に使われていますか?
また、日本で利用を増やすにはどの様にして行けば良いでしょうか?
ご質問はとても重要なテーマです。
緩和医療の専門家の視点から整理すると、ポイントは次の3つです。
1. 先進国では医療用麻薬(主にモルヒネなど)がかなり標準的に使われている
2. 日本は“完全に使われていないわけではないが、使用量は少ない国の一つ”
3. 制度・文化・教育が普及の鍵
以下で具体的に説明します。
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1 先進国ではどの程度医療用麻薬が使われているか
結論から言うと、多くの先進国では「終末期の患者の大半がオピオイド(医療用麻薬)を使用」しています。
例えば研究では
• 終末期患者の約95%がオピオイドを使用
• 内訳:モルヒネ約71%、フェンタニル17%など
というデータがあります。
またヨーロッパの介護施設調査では
• オランダ:約78%
• ポーランド:約18%
と国によって差はありますが、多くの国で数割〜多数が使用されています。
さらにドイツのホスピスでは
• モルヒネ・フェンタニルなどのオピオイドがほぼ標準的に使用されています。
ホスピスの特徴
欧米では
• 痛み
• 呼吸困難
• 不安
• せん妄
に対して
• モルヒネ
• フェンタニル
• オキシコドン
• 鎮静薬
などを症状緩和目的で積極的に使うのが一般的です。
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2 欧米の終末期医療の特徴
先進国の緩和医療は、次の考え方が共通しています。
①「苦痛のない死」が重要な目標
ホスピスの目的は延命ではなく苦痛の緩和です。
そのため
• 痛み
• 呼吸困難
• 不安
• 不眠
を薬でコントロールします。
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②必要なら「緩和的鎮静」も行う
欧米ではPalliative sedation(緩和的鎮静)
が比較的確立しています。
これは
• モルヒネ
• ミダゾラム
などを使い苦痛が強い患者を眠らせる治療です。
目的は苦痛をなくすことであり、安楽死とは区別されています。
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③在宅でも使える
カナダなどでは終末期患者の81%がオピオイドを使用する制度があります。
しかも
• 在宅
• ホスピス
• 病院
どこでも使えるようになっています。
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3 日本が少ない理由
日本は先進国の中では医療用麻薬の使用量が少ない地域に分類されます。東アジアは世界的に見てもアクセスが低い地域です。
主な理由は5つあります。
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①医師の教育不足
日本では
• 緩和医療専門医が少ない
• 痛み治療教育が少ない
という問題があります。
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②「麻薬=危険」という文化
日本では
• 依存
• 呼吸抑制
• 寿命を縮める
という誤解が強いです。
しかし研究ではオピオイドは寿命を短くしないという結果が出ています。
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③がん中心の緩和医療
欧米
→ 心不全・COPD・認知症でも緩和医療
日本
→ 主にがん患者
この差が大きいです。
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④在宅医療体制
欧米は
• ホスピス
• 在宅緩和医療
が非常に発達しています。
日本はまだ
• 病院中心
• 急性期医療中心
です。
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⑤制度
例えば欧米では
• 終末期薬剤プログラム
• 在宅麻薬供給
などが整備されています。
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4 日本で改善するには
専門家の間では、次の5つが必要と言われています。
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①緩和医療教育
医学生・医師に
• オピオイド
• 症状緩和
の教育を強化
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②在宅ホスピス拡充
必要なのは
• 在宅医
• 訪問看護
• 24時間支援
です。
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③国民の理解
特に医療用麻薬は依存目的ではないという理解が必要です。
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④早期緩和医療
欧米では診断直後から緩和医療を行います。
日本は最後だけになりがちです。
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⑤ACP(人生会議)
欧米ではAdvance Care Planningつまりどんな最期を望むかを事前に決める文化があります。
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5 個人的に重要だと思うこと(専門家視点)
実は多くの緩和医が言うのは苦しんで亡くなる人は思っているほど多くないということです。
理由は
• モルヒネ
• 鎮静
• 呼吸苦治療
があるからです。
ただし問題は緩和医療にアクセスできない人です。
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苦しまずに死ねる確率とは?
また欧米ホスピスの実際の最期について教えて下さい。
ご質問の 「苦しまずに死ねる確率」と「欧米ホスピスでの実際の最期」 は、緩和医療の現場でも非常に重要なテーマです。
研究データと臨床経験をもとに、できるだけ現実に近い形で説明します。
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1 苦しまずに死ねる確率
まず結論から言うと、
適切な緩和医療が受けられる場合、多くの人は強い苦痛なく亡くなります。
いくつかの研究を総合すると次のような傾向があります。
終末期の症状(代表的研究)
死亡直前の患者で見られる割合の目安
症状 発生率
痛み 約30〜60%
呼吸困難 約40〜70%
不安・混乱 約20〜50%
しかし重要なのは症状があっても薬でコントロールできるケースが多いという点です。
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強い苦痛が残る割合
欧米のホスピス研究では耐えがたい苦痛が残る患者はおおよそ
5〜10%程度
と報告されています。
つまり逆に言えば
約90%以上は苦痛がかなり緩和されているとされています。
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苦痛が少ない理由
終末期では次の薬が使われます。
主なもの
• モルヒネ
• フェンタニル
• ミダゾラム(鎮静)
• 抗不安薬
• 抗精神病薬
これにより
• 痛み
• 呼吸困難
• 不安
• パニック
が抑えられます。
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2 欧米ホスピスの実際の最期
日本とかなり違う部分があります。
欧米ホスピスでは死のプロセスはかなり自然なものとして扱われます。
典型的な流れを説明します。
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①食事量が減る(数週間前)
亡くなる数週間前から
• 食欲低下
• 眠る時間増加
が起きます。
欧米ではこの時点で無理な点滴や栄養はしないことが多いです。
理由
• 体が自然に閉じていくため
• 点滴はむしろ苦痛になる
という考えです。
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②ほとんど眠る(数日前)
数日前になると
• ほぼ寝ている
• 会話が減る
という状態になります。
この頃から
• モルヒネ
• 鎮静薬
が増えることがあります。
目的は痛み・呼吸苦の予防です。
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③死前喘鳴(1〜2日前)
喉の分泌物が増えてゴロゴロ音が出ることがあります。
これは本人は苦しくないことが多く
• 体位変更
• 分泌物薬
で対応します。
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④意識が薄れる(数時間前)
最期の数時間では
• 意識低下
• 呼吸が不規則
になります。
この段階では多くの場合苦痛を感じていない可能性が高いとされています。
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⑤静かに呼吸停止
最後は
• 呼吸間隔が長くなる
• 呼吸停止
という形です。
ホスピスでは多くの場合家族がそばにいます。
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3 欧米ホスピスでよくある最期
医師や看護師がよく表現するのは
「眠るように亡くなる」です。
これは誇張ではなく本当に
• 眠る時間が増え
• 意識が薄れ
• 静かに呼吸停止
というケースが多いです。
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4 苦しむケース
ただしゼロではありません。
苦痛が強くなる例
• 重い呼吸困難
• せん妄
• 急激な出血
• 強い不安
この場合は緩和的鎮静(palliative sedation)が行われます。
これは眠らせて苦痛を消す治療です。
欧州では5〜20%程度の患者に使われます。
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5 医療者がよく言うこと
緩和医療の医師がよく言う言葉があります。
人は「死」より「死に方」を恐れている
現代医療では死を止めることはできないですが
「苦しみはかなり減らせる」ようになっています。
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6 日本の将来
日本も徐々に変わっています。
増えているもの
• 在宅看取り
• 緩和ケア病棟
• 人生会議(ACP)
ただし欧米より10〜20年ほど遅れていると言われます。
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最後に(とても大事なこと)
終末期医療で一番大きいのはどこで最期を迎えるかです。
研究では苦痛の少なさは
1位 ホスピス
2位 在宅
3位 病院
と言われています。
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HYSさん、コメントありがとうございます。
お父様の終末期に色々努力された事、よく分かります。皆さん人生其々の最後がありますね。どちらかと言うと耐え忍ぶ事が美徳とされてきた日本。
リビングウィル(生前に過剰な治療をして欲しくない事。薬物にて終末期の苦痛をとる事の希望)や緩和医療についてどの様にお考えですか?
私は平成6年5月に父親を亡くした。 遡ること数年前に、地方では大きな病院で、肝臓の病変が確定した。
母はその前に他界していたので、長男の私は、当時生活していた宇部の大きな病院と打ち合わせ、入院の予約を入れた。
まだ手術が出来る可能性のある段階であった。 何度か帰省し、手術を勧めたが、父は田舎を離れるのが嫌で、一旦は宇部行きを考えていたようであったが、最終的には田舎を離れないときっぱりと言った。
父の代は、己の兄弟も、我が母の兄弟も多く、私の嫁いだ妹もおり、ご近所とのお付き合いも深かった。 それらが度々食事を運び、顔を出して話していくことの楽しさと比べれば、長男の元(私)、即ち生活経験の全くない、私の妻子以外、知人のいない土地に移るのは嫌だという気も理解できた。 そのまま病気も外見上、顕著な進行が見られず、2年ぐらい変わらぬ、時には畑に出て野菜を作ったり、友人とお酒を飲むことを続けていた。
平成5年12月、突然、体調が急変し、かかり付けの病院(地域唯一の少しだけ病室のある病院)の数少ない個室に入院した。 正月休みは私は病院で寝泊まりした。いつ悪化するか分からないので、看護人が付き添う必要があると病院から言われ、周に5日間泊まり込みの付き添いを雇った。 それ以外は、私たち兄妹が交代で寝泊まりした。
本話題の病気による苦痛も、当初気にしたが、今思い出しても不思議と病気による苦痛を口にすることは無かった。
医者がどんな薬を使ったのかは全く知らない。 私が土曜日に病院に行き、寝泊まりして、日曜午後病院を離れる生活が続いた。 その間、父とはいろいろな話が出来た。 多くは、私がまだ小さい頃の話であった。戦後の困難な時代の話も懐かしかった。 次第に弱くなり、最後は話すことが出来なくなり、血圧が低下し、病室に入りきれないほどの駆けつけていた多くの身内、ご近所の方を無言で見渡したあと、亡くなった記憶しかない。 明治の男の父は弱音は吐かなかった。 妙な苦痛緩和薬は最低限しか使わなかったと信じている。 直前まで、見舞客と会話をしていた。 医者は素晴らしい最後でしたと言われた。 苦痛緩和薬についての説明は無かったし、私から質問することも無かった。 合掌