2025-9-19(AYSA西部部会会員 MYZ)

初めて佐賀県唐津市を訪れた。それは「山村後いきいき健康サロン」が企画した日帰りバス観光旅行である。この「いきいきサロン」は奇数月に20人程度が「山村後会館」に集まり、健康体操、ゲームやカラオケ等で午後のひと時を皆さんと楽しく過す行事である。自治会長や福祉委員の方々にはその都度、暖かいお世話を頂いている。そのおかげでここ十年あまりこの集まりが続いているのだろう。
私は今回の企画の参加には少し消極的だった。足の調子が思わしくなく、それと金曜日の午後は他の行事が入っていた。それでも自治会長の熱心なお勧めもあり家内同行で参加することを決めた。自治会長からは宮崎さんご夫婦が参加されてバス旅行ができる20人となりましたとのお話しもあり、行くからには楽しんで何か新しい発見でも出来ればいいなとの思いもあった。
バスは午前8時に南方八幡宮のお旅所を出発、山陽自動車道、九州道、福岡都市高速、西九州自動車道、浜玉インターチェンジから国道202号、そして唐津湾を眺めながら国道204号で一路北へ走る。途中パーキングエリアのトイレ休憩も含めて約4時間の長いバス旅だった。
私は初めて経験する西九州自動車道や国道の車窓を眺めながらのバス旅でそんなに退屈はしなかった。特に、西九州自動車道では福岡県の糸島(前回のNHK朝の連続テレビ小説「おむすび」の主人公の生地農家)を走っているときは、テレビの演出にあったような「ハウス栽培」のハウスがキラキラと輝き整然として多くの列をなしていた。立派な野菜作りにいそしんでいるのだろうと想像できるし、全国にも出荷しているのだろう。もちろん車内では小宴会も始まっていた。

到着後、早速、呼子の海舟本店でイカ料理のランチとなった。予定より少し遅れていたが(途中で思わぬハプニングがあった)皆さんの到着に合わせてイカを捌いたとのこと。やはり新鮮な生き作りを食するにはイカソウメンにワサビを少量乗せお醤油にさらっとつけて食するのが最高だろう。そのコリコリ感と噛めば噛むほど甘みがじわりと口の中に広がる。そして「イカゲソ天」は揚げ油の質がいいのだろう。調味料は塩にするか天つゆにするかその人の好みで味わえる。この味覚がたまらないからこのような遠隔地でありながらリピート客もあるのだろう。私達が到着するまえに既に2台の観光バスが到着していた。ランチが終わると土産品を買う方もあったが何といってもいろんな種類の「しゅうまい」がその地の名品なのであろう。
午後は、「桃山天下市」の道の駅で買い物、そして「名護屋城博物館」の見学。私は足の痛みが少しあるので側にある茶店でしばらく待つことにした。家内に聞いてみるとやはり「黄金の茶室」は見事だったと。この名護屋城博物館は「特別史跡名護屋城跡ならびに陣跡」「名護屋城以前の歴史」「歴史の後の名護屋城」「名護屋城以後の歴史」と4つのゾーンに分かれている。豊臣秀吉が全国平定後、中国・朝鮮半島侵略を開始した出兵基地として築城したとのこと。大河ドラマでもたびたび登場した歴史ある城である。その歴史を直接垣間見ることはできなかったのは残念だったが、その時代を想像することはできた。
ところで、唐津市は人口11万人ぐらいで宇部市より少し少ないが、佐賀県第2の都市で唐津城を中心とした城下町である。一方、中国や朝鮮との交易での商業都市として栄えた歴史も持っている。実は、この度の唐津旅で、私が銀行員時代に唐津出身の親しい友人がいたことを思い出した。彼は、唐津出身であることを誇りに思って彼の故郷のことを行内誌に投稿していた。その投稿内容は今では詳しく思い出せないが、日本三大松原の一つと称される「虹の松原」のことを書いていた記憶がある。今回は残念ながら時間の制限もあり、「虹の松原」に途中下車することはできなかったが、車中自治会長からここが「虹の松原の入り口」ですとのマイクがあり、旧友のことを懐かしく思い出した。唐津市はゆっくり旅をすれば歴史・自然・食の宝庫としてもっと楽しめるのだろう。
帰路は古賀インターチェンジでお土産やトイレ休憩のみでこの長いバス旅は終わった。心地良い疲れだった。
考えてみると今回の参加者の方々は生粋のこの地の歴史を育んで来られた方が多く、改めてこの地域の仲間としての人と人の繋がりを知ることが出来たことは幸運だった。これから可能な限りこのような企画に参加させて頂こうと思った。(完)
