防府市向島の「蓬莱桜(寒桜)」見学でこの街の思い出を振り返る 

2024-3-16(AYSA西部部会会員 MYZ)

 私は、毎年この時期に「蓬莱桜」見学をしている。この桜の満開の時期は3月初旬、今年は見学の時期が遅れたので少し散り始めていた。今回も桜保存会の人たちのこの桜に対する愛着と守り育てる懸命な努力が続けられてきている重みを感じることが出来た。
「蓬莱桜保存会」制作によるユーチューブで見事な満開時を見ることもでき、その方々の講習会も開催されているとのこと。しかし私の現地見学はその工程を感じることが出来る大事な行事と考えている。帰りには恒例の「防府天満宮」に参拝し(今年のお正月は参拝できなかった)、「天神餅(大宰府の梅ヶ餅に類似)」をヨモギと白を1個ずつ食し、そのモチモチ感に絡むあんこの甘さを楽しんだ。

高校2年の秋の運動会 友人S君と 左側が筆者

 ところで、私が防府という街を意識しだしたのは中学3年生のころからだろうか?受験する高校が「防府(ほうふ)高校」、私の兄弟は長姉から始まり男の兄弟すべて「防府高校(女学校)」で同じお決まりのコースに進んでいた。父は「山口高校」、私の実家は山口市にありながら、兄弟たちは何故「防府」になったのか?兄弟から聞いたことがあるのだろうが、今は覚えていない。

  それはともかくとして、私の高校進学よる通学は汽車となった。それも往時は蒸気機関車である。私は、山陽本線の「四辻駅」から7時過ぎの乗車で、毎朝6時半過ぎには家を出なければいけなかった。それに乗り遅れると学校の授業に間に合わないのである。寝坊した時には線路を走って何とか列車の最後尾に飛び乗ったこともあった。「四辻」「大道」そして「三田尻」と(当時は未だ防府駅とはいっていなかったような気がするー調べたら昭和37年に防府駅に改称している)、通学には1時間半ぐらいは要したのだろう。学校に着いてから授業開始まで、毎朝数十分ソフトボールをして遊んでいた記憶がある。授業開始前の朝勉はしていなかった。そのことも要因の一つであろうか高校時代当初の成績はあまりぱっとした内容ではなかった。また、そのことをあまり気にもしていなかったようだ。しかし他の兄弟と比して、成績差が大きく、これではいけないと感じ始めたのは、大学受験を考え始めた3学年になってからだろうか?それまでの自分は未だ十分に大人になり切れていなかったのだと、今では思う。 

合格の奉告祭 達磨の両目が埋まる

 さて、当時の防府(三田尻)とはどんな街だったのだろうか?防府という呼称は「周防の国の国府」がおかれたところからきているとのこと。それだけ名のある地方行政府だったという事になるのだろう。また、三田尻港は、毛利水軍の根拠地として栄え、とくに「塩田」(塩の産地)は有名で、塩を各地に運び出す港としても栄えた。私の高校時代のころは、その塩田は衰退し、校舎の海側(塩田の跡地)には往年の「鐘紡防府工場」「協和発酵」「宝酒造」等があった。「宝酒造」の芋焼酎で出すに強烈な臭いは教室まで流れ込んできて壁壁したことがあった。マツダの防府工場、現在はマツダの主力工場になっているが、防府に進出してきたのは1980年代で、現在の防府市経済はこのマツダでもっているといっても過言ではないと?
そして、防府と言えば学問の神様として有名な「防府天満宮」だろう。「宮市」で栄えた街でもある。菅原道真が大宰府に流されるときに立ち寄ったと、そのことで、日本で最初の天神様とも言われている。様々な行事が毎年の季節を感じながら行われている。私は、秋に行われている「裸坊祭り」は高校時代から友達とよく見学に行った記憶がある。
又、「萩往還」の出発地点とも知られている。当時は萩から山口を通じて三田尻港へ、参勤交代でも使われていた順路であろうと想像する。 

 防府の街を車でドライブしていると、この街もいろいろ工夫しながら街の活性化に取り組んでいることがよくわかる。防府の読売マラソンも全国区で著名な選手である川口選手を呼び込み、マラソン競技としての公認を得て参加人数が大幅に増加し、その経済効果は大きい。しかしその一方で前述の「蓬莱桜」の世話人は高齢になり、山口県天然記念物(植物)に指定されても、県や市の補助なしで守り続けなければならない課題も生じている。県内の各市町村、それなりに活性化への努力はしているものの、考えてみるとこの「少子高齢化」という私たちが住む地方の根本問題解決の道のりは厳しそうだ。今回の見学で、防府という街の思い出と私が今住んでいる宇部という街を比較して考えてみたがやはり同じような課題を抱えながら歩んでいるような気がする。その街の歴史を大事にしつつ、新しい街づくりに挑戦していくのがベストなのか私にはよくわからない。いずれにしても、老若男女、協働して「住みやすい街づくり」に知恵を絞りたいものだ。(完) 

蓬莱桜2024.3.16  ※8年前と比較するとその違いが分かる

蓬莱桜2016.3.12
高校入学時 1年3組の全体写真

未だ幼さが残る筆者は最前列の左から4番目 
2列目の筆者の背後には現役でT大に合格した大人びたS君がいる
当時は彼の優秀さを知る由もなかった。 

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