私の80歳人生の「バイブル」は何だったのか?

2026-1-30(AYSA西部部会会員 MYZ)

 私は2026年1月で80歳となった。いわゆる傘寿としての人生一つの節目でもある。しかし正直言って80歳になったという実感はない。もちろん体力的な衰えや足腰の痛みは60歳台から70歳台前半までに比べると少しずつ増してきているが、今の生活環境に何ら変化は生じていないこともあるのだろう。でも遠隔地への旅行やドライブには少しずつ抵抗感が生じてきているのは正直な話だ。これが八十路入りなのだろうか?先輩にあたる方々にそっと聞いてみるとやはり80歳はいろんな面で人生の意味を考える「節目となっているよ!」とのアドバイス頂く。

 今考えると確かに人生80年とは長いようで短い。この80年の私の人生を支えてくれていたのは何だったのだろうか?その一つは「家族の存在」が背景にあったような気がする・。もちろん、同じ学びでの親友、そして同じ職場での仲間の存在は「良し悪し」あるにせよ私の人生の大きな支えともなっていた。その中には大きな喜びもあり辛さもあり「濃いも薄い」も経験してきた。それでもここまで持ちこらえてきたのは私の心の底に何かがあったのだろう?ひょっとしてそれが「家族の存在」であったのかもしれないと、今は思う。

AI生成による一般的なイメージです。

 私は山口県山口市南部にある陶ヶ岳を背にして、瀬戸内海には車で20分程度の山と海に囲まれた田舎で生まれ育った。私の祖父はその地域の地主で眼科医、戦前はそれなりに裕福な家庭であったらしい。父は3男で家を継ぐ予定ではなかったが、2人の兄が若くして亡くなったことで、自分の選んだ道に進めなくなり、やむなく私の母と学生結婚をしたと聞いている。当時の母は女学校を卒業してすぐの18歳だった。共に明治後半の生まれである。

 そんな両親の環境の中、私達家族には昭和の初めから戦後になるまでに8人の兄弟が生まれた。戦前に6人と戦後に2人、姉が2人に兄が4人と私と弟が戦後生まれである。私達家族の環境を大きく変えたのはやはり戦争による敗戦であろう。農地解放、預金封鎖そしてハイパーインフレである。私は戦後すぐの生まれであるので直接的には往時の悲惨さは覚えていないが、年次が上がるにつれその事態を肌で感じて来ていた。その中で家族に大きな勇気を与えたのは母を中心とした「家族会議」であろう。当時の経済状況の中で家族それぞれが果たす役割を決め実行する。未だ幼稚な私にとっては大事な経験であったし、このことが私たち家族を精神的にも救ったのかもしれない。更に私の大学時代は地元であったのも幸いし両親と3人の生活を経験し「母の暦」を知ることが出来たことは幸運だった。これは後々「私のバイブル」となる「母との往復書簡」に通じるものがあったのではと、今では思う。

 ところで「バイブル」とは「聖書」といわれ、宗教的な教えや指針を与える最も重要な書物をさす言葉と言われている。しかし現代では聖書以外の意味合いでも使用されており、いわゆるガイドブック的な意味合いも持ち「人生の指針・参考書」として、本に限らず生き方など自分の人生に大きく影響を与える全般を指すともいわれている。

 私はこの理解を一層深めたのは、アイサの会員であるU先生が指導されている「こころを語る会」に参加し、「レジリエンス」という言葉を知ってからである。「レジリエンス」とは「困難や逆境、ストレスに直面するなど、どのような状況にあっても適応(対応)し、しなやかさに乗り越え回復する力」とある。この「レジリエンス」を引き出す方法はいくつかある。その中で今私の80年の人生を思いかえしてみるとこの「レジリエンス」の波を何度か繰り返していたのだと気づかされた。その一つが「レジリエンスの自己理解」になるのだろう。   I have、I am、I can、I like (イローナ・ボニウエル博士によるレジリエンス・トレーニングより)を意識する事だろう。

 思い返せば、この私の「レジリエンス」の波の起点は就職の為に初めて故郷(母)のもとを離れたことからはじまったと思う。未だ20歳前半で若さとり気力の充実もあり、これからの社会人生活に大きな希望を抱いていた。それは逆に厳しく、辛くもある仕事にも立ち向かわなければならない。そんな中での寮生活で「故郷(母)」への望郷が募ることもあった。その思いから私が結婚するまでの4年間、母との「往復書簡」が続いた。母からの「便り」は全部で28通ある。私が一番勇気づけられたのはやはり「母便り」であった。故郷の情景や兄弟や親類縁者の動向、そして私に対する「勇気づけ・励まし」などである。少し弱気になる手紙を書くと「気魂を大きく、言いたいことはなんでも言う、それで業が深ければそれを受け止める度量」だよと、教えられることが多かった。

 そうだったのだ。私の「バイブル」はこの母との「往復書簡」だったのだ。私のこの80年の人生の中で何かあると今は亡き母のこの「往復書簡」を取り出して読み返している。その都度、迂闊にも「落涙」するのである。数十年前は両親のアニバーサリーに私達兄弟8人の夫婦とその子供達が揃い夜を徹して痛飲していたが、既に5人が黄泉の世界に旅だっている。不思議な気持ちになる。それらの様々なことが、今生かされている私の80年の人生であろうと、今では思う。 (完)

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