2026-2-14(AYSA西部部会会員 KNK)
私は病院で苦しい目に遭って死にたくない!
私が今一番気になっているのは、私が死ぬ時、医療は死の身体的苦痛を最小限度まで減らしてくれるのか、と言う疑問だ。
これが医師の「臨終の苦痛を何としても回避させるという意識の欠如」によるものであったとしたら?
切っ掛けは、ベストセラーになっていると言う「棺桶まで歩こう」と言う本で、新書版で安価なのですぐ発注した。
ただ読んでいるうちに、本にある広告リストから、「私はがんで死にたい」と言う本を見つけた。こちらは10年前に書かれて新書版に再編集されたものだ。なぜ買おうと思ったかと言うと、本の帯に「臨終直前の呼吸苦」の事が書かれていたからだ。
母の臨終の呼吸苦への対処

実は私の母は元気だったが、高齢でガンが見つかった。治療をやらない事を決断してから近所のクリニックで薬を貰って飲んでいた。漢方薬なども入っていたので特に強い効果のある鎮痛薬ではなかった様だ。殆ど痛みは訴えなかったが、パニックになる程の物でなく何とも言えない鈍痛の様な感じを訴えた事が一度あるだけ。あれはヤブ医者だと言っていた。
2年位経って突然倒れ大きい病院へ入院。病院へはガンの治療はしなくて良いが、痛みだけは感じさせない様にして欲しいとお願いしておいた。
それから一か月程は特に痛みを訴える事も無く過ぎていった。いよいよ危ないとの事で、病院へ駆けつけた。臨終を迎えようとしていた。体は「呼吸苦」で平泳ぎでもする様に大きく動き喘ぎ続けていた。担当医は横で何をするでもなく見ていた。点滴程度はされていたのか。(本では点滴にモルヒネを混ぜる事は良くないと書いてある。)私はそれを見て気が気ではなかったが、今更医者に何も言う事は出来なかった。あれだけ体が動いて、痛みも意識も何も感じないと言う事はありうるのか。(最近地元の医師に聞いたら、それは苦しかったでしょう、と言う事だった。)
葬式の日に母の顔を見た時、思わず涙が出た。ガン特有でガリガリに痩せていたが、安らかな死に顔と言うより、苦痛に歪んでいる様に見えたからだ。(本ではこの様な事はありうると書かれている。)
私の手続きは正しかったのか? 毎日明るく面倒を見てくれた母に最後の最後にこんなつらい目にあわせてしまった。今思うと途中で緩和ケア病院に入院させた方が良かったのかも知れない。
この様な状態で苦痛緩和はされていたのかどうかは、素人の私としては何とも言えないが、苦痛緩和は何もされてなかった可能性が高い。
前置きが長くなったが、この思いがあった為、この本に目が止まったのだ。
「棺桶まで歩こう」(萬田緑平 著)を読んで
両書を読んで色んな事を考える切っ掛けになった。
両書は内容はほぼ似た様な事を言っている。最初の「棺桶まで歩こう」(萬田緑平 著)は「在宅医療」の事が書かれている。特にウォーキングの事が書かれている訳ではなく、死ぬまで動く意志を持つ事が大事な事。ガンは治療しない選択もあり得る事。むしろその方が苦痛が少ない事の方が多い事などが印象に残った。
元気なうちにどの様な医療を拒否するか、遺言書ではなく「リビングウィル」として、具体的に紙で残しておくと良いとの事。訪問医でも苦痛の緩和技術を持っておれば安らかに死ねる。ただベストセラーとは言え、中々実行できる環境にはないし、やる人は少ないのではと思えた。
「私はがんで死にたい」(小野寺時夫 著)を読んで
もう一つの「私はがんで死にたい」(小野寺時夫 著)は、より情報量が満載で、ぜひ読む事をお勧めしたい。医師である著者の個人的見解が書かれているのかも知れないが、素晴らしい名著だ。
書かれた10年前よりは医学も進み、AIの進展も相まってガンの完治も近いうち実現するのかも知れない。
しかし「いずれは誰でも終末期を迎える」。私も現在はほぼ健康体だが、その時の事を考えておく必要性を感じる。
序文を書かれた久坂部羊氏によると死に方は「ピンピンコロリ」や「老衰死」よりもやはりガンが良いと考える医師が多いとの事。「コロリ」と死ぬには「心筋梗塞」の様に激痛と死の恐怖に襲われる。「老衰死」は長い寝たきり生活で苦しみと惨めさを嫌と言う程痛感させられるそうだ。それに比べ、「ガン」は死ぬまで十分な時間がある事が多く、最後のやりたい事や人間関係を深めたり、死への準備をする事ができる。
祖母のガンによる死亡
またガンは治療をしなくても思うほど苦痛を伴わない事も多いそうだ。
今度は私の祖母の事を思い出した。祖母は私が高校生の頃に亡くなった。当時はよく近くの診療所からわざわざ往診に来て頂いていた。医師から体に大きなしこりがあると聞いた覚えがある。ガンだったのだろう。少し鈍痛の様な痛みを訴えた事があるが、パニックになる程ではなかった。大した治療もしなかった筈だ。終末期には静かに寝てばかりいたが、ある朝知らぬうちに息を引き取っていた。冬の日、布団がまだ暖かかった事を覚えている。小野寺先生によるとこれは普通の事らしい。本来人間は安らかに亡くなる様にできているとの事。
誰でもいつかは終末期を迎える
ただ生きることへの未練がある人、不安がある人はパニックになったり、鬱にもなるそうだ。(痛みがひどいと鬱になることもあるらしい)。そのままの不穏の状態で亡くなってしまう。苦しい死である。もう助からないと分かった時点で執着をやめ、例え今までの人生が色々辛い事があったとしても、「それなりに良い人生だった。色んな事もできた。皆さんありがとう。」と思って亡くなろうと思う。甘やかされて育った人、わがままな人、執着心がある人、単身の人などは良い死に方ができない事があるらしい。
死に顔でも臨終の状況がわかると言う。臨終の呼吸苦の対応が十分でなかった場合の苦悶の表情もありうるそうだ。
「患者を苦しめる事は医者の恥だと思え」
小野寺先生は生前大変悔いておられた事がある。それは奥様がガンで亡くなられた時の事で、緩和ケアでない普通の大病院で臨終の時に呼吸苦が起きたが、その時の対応が迅速でなかった為、奥様が苦しみつつ「ありがとう」と言いながら亡くなった事。なぜなら意識があった事の証拠で、苦痛がなければ眠る様に亡くなる筈。
その時担当医を叩き起こし、薬局を叩き起こし、かなり時間がかかって薬が届いたらしい。つまり患者の苦痛を長引かせることになる。日本の病院ではモルヒネなど麻薬を手元におく事を管理が面倒?なので嫌がるらしい。つまり緩和医療はされていない事になる。
欧米の病院と比べ、日本の病院は一刻も早く患者の苦痛をとる事にあまり関心がない。一方日本人はとことんまで痛みや苦痛を我慢してしまう。そうではなく、少しの痛みでもどんどん医者に訴えてほしいとの事。痛みをとれば長生きできるらしい。「患者を苦しめる事は医者の恥だと思え」と書いてあった。
医者はいまだにそうなのだろうかと思ってしまう。苦痛を取る薬や方法は分かっているが、治療が先で後回しになってしまっている。
自分が思うに、「楽に死ねる事は病気を治す事よりも大事」だと思う。人が死が怖い一因は苦しいからだ。
高齢者になったらいつ死んでも良いとの覚悟で過ごす事も大事かもしれない。本当にいつ死がやって来るか分からない。また健康で頭が回っているうちに「リビングウィル」というか、終末期または病気で倒れた時にどうして欲しいか紙に書いておこう。でないと自動的に入院させられ、治療また治療のベルトコンベアーに乗せられてしまう。単身者は特にそうらしい。書いていても中々やってくれない可能性もあるが。
日本では何もしないと運悪く苦しんで死ぬ可能性がある?
特に地方では普通医療は何も緩和対策はされていない気がする
ガン治療をするにしても、もうやっても無駄だと分かったら止める事。何の病気になって死ぬか分からないが、死の苦しみは味わいたくない。もう治療をしても無駄だと分かったら緩和のシステムが整っているであろう「緩和医療」の病院に入るか(あまり死の直前や身内のいない人は駄目だそう。満杯のことも多いらしい。)理想的には一般の病院や医師が十分な緩和医療をマスターしている所にお任せする事。大病院でも当てにならないそうである。
地方では益々理想に遠い気がする。「尊厳死」に対する国民運動を起こすしか無いのかも知れない。(「尊厳死」とは、医師が積極的な治療を止める事で、日本では一応可能らしい)
緩和医療や往診をしてくれる所は検索すると山口県内で数箇所あった。いざ病気になったら自分で中々調べられないかも知れないので、事前に調べておく事であろう。
将来、自分が認知症になった時
もう一つ大事な事がある。「認知症」である。今がピンピンで元気な人も長生きするほど認知症になる可能性がある。ガンも二人に一人が罹る。自分もそうなる可能性が高い気がする。うちで介護できなければ介護施設に入るしかない。時々職員による暴力事件などが起きるが職員の皆さんには頭が下がる。
個人的には自分もそうなる事を考えると欧米の様に「安楽死」も制度として作るしかないのではと思ってしまう。ただ「安楽死」は医師が死なせる事で日本では中々難しいだろう。「安楽死」は自殺幇助(ほうじょ)に繋がる可能性もある。「尊厳死」のほうを緩和医療と絡めてもっと国民的な議論にしていく必要はあるだろう。「日本尊厳死協会」というサイトを見つけた。自殺幇助でなく、ちゃんとした真面目なサイトの様である。
認知症になり恥を晒してまで生きたくないと思う人もいるだろう。しかしなってしまった人は多幸感に包まれる事が多いとの事。その意味では救いである。
欧米では寝たきりが少ない。認知症状態ではないが、自分のことは自分でやり、車椅子は勧めず自分で歩く。食事は食べさせて貰う事なく自分でとるとの事。
何れにせよ自分が認知症になった時のリビングウィルは是非とも作っておく必要がある。
小野寺氏はご自身がガンでもし「認知症」になられた時は、
1、低カロリー、低タンパクの食事にして下さい。
2、不穏や徘徊、不眠がひどい時は薬を十分出して下さい。
3、寝たきりになったら「鎮静」をして下さい。
と書かれている。「胃ろうは断固拒否します」との事。胃ろうはベルトコンベアー医療だと自動的に作られる可能性があるらしい。しかし病院では1はまず無理。3の「鎮静」は麻酔薬で眠らせる事で、「安楽死」につながる思われ中々日本では難しいらしい。
リビングウィルを作る
「今でしょ」ではないが、今のうちに不完全でも良いから、デジタルデータで作ってプリントアウトしておこうと思う。
そして、終わったら医療がお手上げになるまで、元気で、前頭葉を衰えさせない為に頭をフルに使い、一般向け専門書や英語読書をやり、緩やかな糖質制限をやり、腎臓病予防の為に添加物の多い加工食品はできるだけ避け、ウォーキングや自重筋トレをやり、自分に向いたサークル活動を続けたいと思う。
あとはもうダメだと分かったら、潔く死を迎えよう。
●公益財団法人日本尊厳死協会 https://songenshi-kyokai.or.jp
